語学留学という名の長期観光

英語を習得するためには「環境」が大切です。その「環境」はどのようなものかというと、「英語を用いなければ立ちいかない状況」ということです。そのような状況は「日本」に住んでいる限り発生しないものです。

日本に住む私たちの母国語は「日本語」です。同族みんなが日本語を使いこなしていて、この言葉を知っていれば誰とでもコミュニケーションを行うことができます。それは特に訓練して得た能力ではなく、生まれてから自然と得た、周囲に飛び交う言葉から感じ取った「環境」から得たものなのです。そしてまずは自分の家族、父親や母親とコミュニケーションをとるところから私たちの「言語」は始まります。言語を習得することで自分に対して「発せられていること」、そして「自分が伝えたいこと」を「言葉」を介して理解することができるようになるのです。その言葉は思考を形成し、言葉にしていなくても、誰かに話しかけられていなくても、自分自身の頭の中で、自分自身を定義するものとして定着し、世界のさまざまな出来事、人の気持ち、自分の気持ち、芸術、その他さまざまなことを誰かと「共有」することができるのです。言葉として与えられた「名前」は自分自身を構成し、人のことを人の「名前」で理解し、「相手と自分」という区切りを明確に理解した上で「コミュニケーション」が生じるのです。

すべては誰かが教えてくれたわけではなく、そのような「社会」を私たち自身が形成しているから「必要」なことであり、人として生まれ、社会で生きていくためには「言葉」が必要だったということです。言葉を理解することはコミュニケーションを成立させる上でも重要なもので、私たちはその「言葉」を習得することをキッカケとして一気に世界を広げたのです。

母国語ではない「言葉」を覚えるためには、やはりそのような「環境」が必要であるということは変わりがありません。教科書だけでは足りません。近所に外国人が住んでいるだけでも足りません。英語を話さないと何も出来ないという「環境」に、身を置くしかないのです。それが「新しい言語」を習得する上での最短距離です。ただ学ぶだけではなく、「それを用いなければさまざまなことが成立しない」という状態を作る必要があるのです。

「留学」はそれに相当する行為です。その言葉が支配している環境に身を置くことで、その言葉を用いなければどうしてもなにも成立しないという状態に自分を持っていく、あえてそのような環境に挑むことで、無理にでも新しい言葉でのコミュニケーションを取得しようとする試みです。

ただ、ここで注意したいのは「多くの留学生がいる場所」であるとか、「日本人が多くて安心できる場所」などというところに「留学」をしてしまうと、それは効果が半減するということです。必要なのはその言葉を用いなければ「生きていけない」という状況です。自分に厳しい環境であるから、それが「取得するきっかけになる」のであって、「日本語でも済む場所」に留学をしてしまうと、それはただの「長期観光」になってしまうおそれがあります。

「留学」と言えば聞こえはいいものの、そのような「観光」に成り下がってしまうと、結果新しい言葉を習得することができなくなっていたということも考えられますので、注意したいものです。

 

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