語学とは「伝える」こと

「言葉」が何のためにあるのか、なんのために自分は学び始めるのか、少し考えてみましょう。仕事で必要だから、スキルとして身につけていれば出世しやすいからなど、そこにはさまざまな理由があるでしょう。

どのような理由があって英会話をはじめたとしても、そこにあるのは「言葉」です。覚えるのは「言葉」で、その先にあるのはその「言葉」を使った「コミュニケーション」です。コミュニケーションは大切なもので、人と関わること自体はほとんど「生きること」に等しいのです。それは私たちが「社会」という枠組みを創りだし、その中のさまざまな活動で相互に「生かす」ということを行っているからです。

「生きる」ということは「社会の歯車」に加わるということです。得体の知れない「経済」というシステムは、結局のところ自分がなにかを行った結果、働いた結果、自分に対価が還元されるという仕組みなのです。それはコミュニケーションがなければ成立しないことですし、モノをひとつ売る、モノをひとつ買うためにも私たちは最大限「言葉」を活用しているのです。こうして今記しているこの記事も「言葉」で綴ったものですし、それを「読む」ということ自体である種のコミュニケーションが成立しているということです。

「語学力」、「言葉」はそのための「ツール」でしかないということです。言葉をただの学問としてとらえ、学び続けるのはいいでしょう。ですが、そのようにして、ただの「知識」として蓄えた言葉には何の魅力もありません。言葉が言葉として魅力、効力、意味を持つのは、誰かに対してそれを発したときです。誰かがそれを受け取ったときです。そのときにその言葉ははじめて「意味」を持つのです。「生きる」のです。

これから英会話を学ぼうとするのであれば、それは「使わなければ意味がない」ということをまず知っておいていただきたいのです。言葉を言葉として捉えるためには、「使う」ということが前提であるということです。

カルチャーとして、趣味とて、英会話を学ぶのもいいのです。それは間違ったことではありません。ただ、「使って」ほしいのです。それは海外旅行に行くのでもいいですし、オンラインで海外の友人を作るのでもいいでしょう。どのようなカタチであれ、今は英語を活用できる局面がたくさんあります。そのような「シーン」を、自ら積極的に引き起こして欲しいのです。

英語は学ぶだけでは意味がありません。資格として「TOEIC」のスコアを稼いでも意味がありません。「使う」ことです。それまでコミュニケーションがとれなかった異国の人、異文化の人と直に接して、何か新しいものを見出すのです。

新しい言葉を取得するのは時間がかかるでしょう。生半可なことではありません。ですが、苦労した分だけ必ず「コミュニケーション」を通じて得られることがあるのです。コミュニケーションを通じて、英会話を通じて、広がる世界があるのです。そのような世界を見るために、しっかりと学べる環境と出会うこと、しっかりと教えてくれる講師、英会話教室と出会うことがなによりも大切です。

世界のすべてを知ることはできませんが、母国ではない場所の現実を、自分の言葉で探求することができるようになるということは、とても素晴らしいことなのです。

 

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