学校教育の英会話へのスタンスとは

小学校から中学校、9年間にも及ぶ義務教育、そして高校と大学でさらに7年間、実に16年間も私たちは学んできました。人によってその学生時代の期間や形態は異なるものの、私たちは学ぶということを通じて社会に出る準備をしてきたと言ってもいいでしょう。

私たちは学び、さまざまな思い出とともに成長し、社会に羽ばたいてきたのです。しかし、よく耳にするのは「この勉強は社会で役に立つのか」ということでしょう。それは学生時代によく疑問に感じたことです。周囲の大人に聞いても誰も的確な答えなど返してはくれませんでした。それがなぜか、今「大人」である方であれば理由が何となくわかるので゛はないでしょうか。

それは「実際に役に立っていることが少ない」からです。どのような仕事に就くのかということでももちろん答えは変わってくるでしょうが、「一般教養としての学問」が社会で役に立っている局面などとても少ないのです。「営業」に対して何か難しい公式を使うようなこともありません。学校で何を学んでいようと、営業成績は上がりませんし、何か素晴らしい発明ができるわけでもありません。社会に出たときに私たちが感じるのは己の無力さと、これから学んでいかなければいけない膨大な量の「仕事のルール」でした。

学校でたくさん勉強して、テストで良い点数をとっても、仕事にはなんの足しにもならない、それは私たちが実感として知るところです。社会に出て問われるのは「人」、己の「中身」であり、言い訳を許されない「仕事」というものに対して残せる「結果」であり、「いくら稼ぐのか」ということに尽きるからです。

学校で学んだすべてのことが役に立たないわけではないのですが、その最たるものが「英語」でしょう。学校英語をいくら頑張って覚えても、どれだけテストで良い点数を取っても、私たちは卒業後に外国人と話せるなどということはなかったのです。どれだけ必死しに勉強したとしても、私たちが学んでいた頃の学校が掲げていた英語教育では、誰一人として英語を話せるようにはならなかったのです。

学校教育では英語など話せるようにはならない、それが今までの「答え」です。すべてを教育のせいにするのはナンセンスではありますが、実際に私たちは学校教育を修了するだけでは英会話などできていないのです。「学問」としての英語、書き取り、聞き取れる程度の英語力、そしてなにより単語の語彙数が、学生時代の「英語」のほぼすべてを占めていました。そこに存在するはずの「コミュニケーション力」などは一切学んでこなかったのです。だから、社会に出ても英語でコミュニケーションなどとれないのです。とり方がわからないのです。

そのために英会話教室が存在しているのですが、昨今ではこれが見直され、「英語を小学校の授業で導入」という流れに発展しました。正確には「外国語」を必修科目としたということですが、これはほぼすべての学校で「英語」に充てられています。

旧来の体制のまま学び続けても、何の意味もないということを、私たちは身を持って知っているからです。そのため、長い期間かけて学ぶ学校の教育を無駄にするわけにはいかないと、学校教育の「英語に対するスタンス」が変わってきたのです。

 

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