大人から子供まで英会話

これからの時代は、世代によって「英語」に対する意識が変わってくるはずです。もともと「教育」というものは時代を経て変化するものです。教育は未来の「人」を作ることですが、その予測される未来のカタチが変わるからです。

「今」を生きる世代によって、受けてきた学習に差があります。学校は、土曜日には半日あったという世代もいれば、土曜日は完全に休みだったという世代もいます。さらには受験で苦労したという世代もいれば、受験では苦労など皆無だったという世代もこれから出てくるでしょう。「教育」というものはその時々の世相や、その「先」に見える時代を反映したものです。戦前と戦後では教わる「歴史」は別のものですし、欧米圏の人々が世界を席巻しなければ、英語が世界の共通語にはならなかったかもしれません。さまざまな情勢、時代の流れによって、その時に予見される「未来」が別のものになるのです。予見された未来が別であっても、その時に受けた教育は変えることができないもので、そのまま成長するしかありません。

実際の「社会」では、そのようにさまざまな教育を受けた人々が混在しています。同じ職場、同じ会社であっても、そのようにさまざまな教育を受けたさまざまな世代の人が働いています。価値観も違います。常識も違います。そのような「多様性」をはらんでいるのが今の社会です。「違って当たり前」ということです。違うことは決して悪いことではなく、違うことに対して面白みを感じる局面も多々あります。

ですから「英語」に対しても世代によって価値観が異なります。基本的に、世代が上になるほど「英語」に対して「苦手」という意識を持つようになる傾向があります。世代が上であるほど、英語を「口に出して」勉強した時間が短いからでしょう。さらには、インターネットなどもなかった時代では、欧米の文化に触れること、欧米圏の人とコミュニケーションをとることは限定的な人に限られていたのではないでしょうか。

現代ではインターネットで世界中の人とビジネスを行うことが可能です。ビジネスは海を超え、文化を超え、国際情勢なども関係なく国際間でうねるのです。たとえ歴史的に深い溝があったとしても、ビジネス上ではそのようなことは「関係ない」ということがほとんどです。現代のビジネスでは、特に製造業などでは、海外とり関わりは不可欠でしょう。

そのように「英語が当然必要だ」という社会環境がある現代では、その子どもたちの世代では「大人になったら当たり前のように英語を使わなくてはいけない」ということになるのは当然の流れです。そのときの世相や情勢は、そのときの教育に反映されるものですから、文科省において「英語教育」の見直しが提唱されるのは当然のことといえます。

実際のスキルとして「英語力」がウィークポイントの私たち日本人にとっては、「英語」は重たい問題です。ビジネスの中で当たり前のように英語を用いる必要があり、当たり前のように海外の人とコミュニケーションをとっているにも関わらず、大多数の人が「英語は苦手」としている状態が続く限り、国際間の経済活動にビハインドとなってしまうのは避けられません。それを解消するためには、「今の子どもたち」にしっかりとした英語教育を受けて貰う必要があるのです。

 

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