英語と文化、両方身につける

言葉とはその土地の文化や生活を反映したものです。言葉を習得するということは、相手の文化や思想をすべて乗り越えてコミュニケーションできるということです。そうして理解するのはただ「相手の伝えたいこと」だけではないのです。

相手の「言葉」、こちらの「言葉」、それぞれ文化的な背景というものをはらんでいます。言葉は必ず人が発するものであり、その「人」は必ず何らかの「思想」を持っているものです。特定の「宗教」を信奉していたり、特定の文化圏で育ったりした経歴があるものです。そのような「人」が発した「言葉」にはそのような背景が込められているもので、言葉の「額面」上も左右されるかもしれません。

相手とコミュニケーションをとるということは、そのような思想や思考のベクトルによって少しずつ変化する「言葉」を理解するということです。その人が発した言葉を、その人の抱いた「背景」で理解するということです。本来、コミュニケーションとはそういうものであるはずで、ただの言葉の応酬ではありません。言葉にはその「人」が込められていて、相手のことを理解しようとする試み自体をコミュニケーションと呼ぶのです。同じ国に育った相手でさえも、コミュニケーションが困難なときがあります。どうしても相容れないことがあります。言葉を完全に理解していてもそうであるのに、違う文化圏で育った相手、違う言葉を話す相手、常識も正義も異なる相手と、ただ言葉を理解しあうだけでコミュニケーションがとれるわけがないのです。

「言葉」を覚えるのはスタートラインでしかなく、その先には血の通った「人」がいるということ、その「人」はすべてが違う人であり、ひとりひとりが立派な考えを持っていて、その人の信念と正義を受け入れながら、こちらのことも理解してもらう必要があるということ、そのような「前提」がコミュニケーションには必要です。

「英語を覚えた、これでどんな国の人とも話をすることができる」というわけにはいかないのです。相手の懐に飛び込むためには、相手の持つ文化、そして相手が信じている正義、さらには相手がこちら側に対して抱く感想、印象さえも「理解」して、そのような相手に合わせたり、理解してもらったりすることが必要になるのです。

それが「コミュニケーション」です。

ただ言葉を覚えるだけでは「人」を理解することにはなりません。人を理解するためには相手の文化を理解するということが必要です。人とわかりあう、人とコミュニケーションをとるということは、実は同じ国の人間であっても「相性」があるのです。ただ言葉の壁を乗り越えるだけでは、それらを解消できたとはいえません。言葉の先には人がいて、それぞれ誇りを持って生きているということ、相手の誇りと、こちらの誇り、それらを互いに受け入れながら、相手に対して適切な対応を望む必要があるのです。

英会話習得の目的は、言葉を覚えることではないのです。その先に必ず「人」がいます。コミュニケーションとは、人と人が意見、思想を交わすことです。そのときにどのように相手のこと、自分のことをうまく理解しあえるのか、そのためにはある程度相手の背負う「文化」を知ることは大切なのです。

 

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