信頼できる講師とはどのような人か

英会話を体系的に習得するためには、「講師」の存在は必要不可欠です。「講師」がいてはじめて成立することがたくさんあります。例えば「文法」などです。

私たち人間はどのようなものでも体系化して、人に伝えたり後世に残したりできるように考えるものです。それは「知識」としての蓄積ということです。言葉は生きているものであり、どのように分析したとしてもその言葉の中に込められたものやその言葉が持つ美しさ、芸術的なものは変わるものではないのです。ただ、言葉を体系的にまとめることで人が「学ぶ」ことができるようになるという現実は変わりません。学問として成立させるためには、導入から発展、応用まで整ってまとめられている必要があります。

言葉はスキルであり、知識です。「発話」するということはカラダで覚えることです。正しい発音を身につけるためには「訓練」が絶対必要です。それはある意味、その言葉しか通じない環境に身をおけば「通じない」という現実を持って「発音が悪いのか」と実感することができます。ですが「文法が違う」ということはそうそう気がつけるものではありません。言葉は「単語」の羅列です。「片言」という表現があるように、たどたどしい言葉でもある程度単語が込められていれば、相手はそこから「何を伝えたいのだろう」ということを汲み取ってくれることもあるものです。

正しい言葉を身につけるためには、文法を知る必要があるのです。そして、それは独学では厳しいものがあります。もちろん、これまでの学校教育で学んできた素地があれば、未来のことを言いたいのか、今のことを言いたいのか、それとも過去のことを言いたいのかということを使い分けることはできるでしょう。ですが、言葉はそれだけではありません。その土地に根付いた慣用句や独特な言い回しなどもあるものです。

それらの「生きた言葉」を「活きる知識」として授けてくれるのが「講師」です。良い講師とは、それを「学ばされている」と相手に感じさせない講師のことといえるでしょう。コミュニケーションをとりながら、自然とそれらの言葉が身につくこと、それが大切なのです。

私たちは生涯学び続けるものです。「人として完成した」などと感じてしまっては、それは「慢心」です。常に足りないことがあって、常に何かを追い求める、それが私たちに必要なことなのです。

私たちには言葉が必要です。何をするにも言葉は必要なのです。文化的な生活を送る最低限の要素、コミュニケーション。そのためのツールとしての言葉が必要なのです。そしてそれらは生きた言葉から体系的にまとめられた「知識」として編纂されるものであり、それらを活用して学問として言葉を学ぶこともできます。そして、学問には「教える人」が必要で、そこには「技」としての「教え方」が存在するのです。何かを教えるということはひとつの特化した技術です。人に覚えてもらうことを大前提とした、スキルです。

それらに長けた講師に出会うことで、英会話の習得は一気に必要な時間が縮まることになります。そのような講師にどうやって出会うのか、どこにいるのかということを考えると、やはりそれを専門とした機関、「英会話教室」が挙げられるのです。

 

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