使わなければ語学は錆びる

「言葉」というものは「生き物」のようなものです。そこに確かにありますし、理解していればそこからさまざまな意味、さまざまな意志を見出すことができるものの、それ自体はなにも実光力を持たない、記号と音の「法則」です。

言葉は私たち「人」が用いてはじめて「実効力」を持つものです。私たちが気になるのはその言葉自体というよりも、その言葉が持つ「意味」であったり内包している「情報」であったりするのです。そして人に使われることが大前提の「言葉」は、使われるうちに半ば自然発生的に「変化」していくものであり、時代に合わせた「進化」をしていくのです。

言語学の権威が「正しい言葉の使い方」といくら定義づけても、「最近の言葉は乱れている」といくら嘆いたとしても、誰もが理解できて意味が通じるのであれば、それは「生きた言葉」ということになります。そして、その言葉に合わせて「文法を書き換える」、「辞書を書き換える」ということが必要になるのです。それが「言葉」です。いくら学問で縛ったとしても、その表現が誰からも用いられなくなってしまった場合は、その言葉は「死んでいる」ということになるでしょう。

言葉が「生きている」というのは、それを使う私たちが「生きている」からです。私たちが生きているから、言葉も生きているのです。生きた私たちが言葉に「命」を吹き込んでいるのです。私たちが生きている限り、言葉は変わり続けます。日々話す限り、少しずつ言葉は変化していきます。それを理解できる人がいる限り、その表現を用いる人がいる限り、その言葉は「生き続ける」のです。

そのような流動的な「言葉」を死なせてしまうときは、「その言葉を使わなくなった」ときです。知識としては納得していて、意味もわかる。ただ、自分がそれを話すとなんだか誰かから借りた言葉のように感じてしまうということです。そのようなとき、その「言葉」は錆びてしまうということです。「使うこと」、「話す」こと、日ごろから「耳にする」こと、その言葉を「生きた」ものとして扱うためには、毎日その言葉を使い続けることが何よりも大切なことなのです。

知識として蓄積した文法、単語も、確かに「言葉」ではあります。ですが、それを口から発することなく、ただ理解しているだけということでは言葉は死んでいるのと同じです。

いったん英会話の習得を始めたのであれば、その言葉を毎日でも発するということを意識するしかありません。「使うこと」ではじめて生きた言葉として成立するのですから、自分が取得しようとしている言葉を生かすために「使う」しかないのです。それができないのであれば、言葉はやがて死んでいくと思ってください。

そのときにしか通じない表現、その時にしか口にできない単語、時間が経てば誰もが忘れてしまうような単語、例えば人名や団体名などの固有名詞などです。私たち自身もすべての日本語を知っているわけではありません。すべての単語を網羅しているわけではないのです。そのときその言語で多く使われる言葉には波があり、その波に追いつくのではなく、その言葉を使うひとりひとりがその「波」を構成しているのです。それが「言葉」です。言葉は、使わなければ錆びるのです。

 

英会話教室の実状Topへ戻る