言語とは、人がコミュニケーションをとるうえで大切なものです。「母国語」とは育った国の言葉、「覚えよう」と特に意識をしなくても、母国語であれば自然と身につくのです。

世界にはさまざまな人がいて、さまざまな国、地域にわかれています。それぞれの国、それぞれの地域ではその場所、民族に特化した「言葉」があります。人はその生まれ育った場所、所属する民族の言葉を自然と身につけ、使いこなしています。その言葉の差、言葉の壁は、私たちから「誰とでも話せる」という機会を奪うもので、その国の言葉を知らなければ私たちはその人とコミュニケーションをとることもできないのです。

そのために「世界で共通の言語」を使おうという動きがとられたのですが、その「共通言語」としてピックアップされたのが「英語」です。英語を世界の人が使えるようになったら、母国語がなんであれ、英語を用いてコミュニケーションがとれるということです。コミュニケーションがとれるということは、意志の疎通ができるということです。抱える歴史、染み付いた文化、その他さまざまなことを乗り越えて、英語を用いたコミュニケーションが可能になるということです。

ですから、どのような国で暮らしていても、どのような社会背景があったとしても、「英語の習得」というのは欧米に対しての国際化ではなく、全世界に対する国際化の第一歩ということになるのです。先進諸国ではもちろん、発展途上国であっても、その教育過程に英語教育を取り入れているもので、一般的な教育を修了した段階で一般的なコミュニケーションとしての「英会話」を習得できていることが多いのです。

ただ、かたや「日本」にフォーカスすると「英語」に対する教育は実践しているものの、中学、高校、大学での英語教育を修了した段階でも「コミュニケーション」が実現できるとは言いがたいのが現実です。ただ教育を受けるだけでは、実用に耐える英会話などは身につかないのです。それは、これまで続けてきた英語教育の内容が、文法や語彙を「覚える」ということに特化したものであるからで、さらに筆記が中心の学習になってしまっているからです。さらには、「言葉にする」ということが日本の学習スタイルにはあっておらず、勉学として覚えたものが「言葉」、「会話」に反映され辛いということが原因です。

日本は先進国のひとつではあるものの、そのように「英語」に関しては教育の方法を誤ってしまっているということが現実です。高い学力、技術力を誇り、高度なビジネスを展開することができているものの、「英語」に対する苦手意識が高いのです。

そのため、学校の「勉強」とは別に「訓練」としての英語を身につけようというニーズがずっとあり、それを満たすものが「英会話教室」です。英会話教室の目的は「勉学」ではなく、実際に英語でコミュニケーションをとるための「訓練」です。「テスト」で習得具合を測ることもありますが、目的は実用に耐えうる「英語」、「使える言葉」としての「英語」を習得することです。

英会話の習得方法にもさまざまなものがあり、ビジネスとして展開されている英会話教室自体も数多くあります。英語が苦手になってしまう英語の教育が存在した限り、英会話教室のニーズは存在し続けるのです。