英会話講師は全員ネイティブか

「英語」はもともと欧米圏の言葉ではあります。母国語を「英語」とする国々の人を私たちは「ネイティブスピーカー」と呼びます。ですが、実は世界で英語を話す人の多くはネイティブスピーカーではありません。

そして、世界の共通語として用いられようとしている「英語」自体も、実は「ネイティブイングリッシュ」ではありません。私たちが英語を覚えて話す際にもネイティブイングリッシュではありません。世界で通用するのは、そのような「ネイティブではない英語」ということになります。

「本場」という言葉があります。それはさまざまなこと、さまざまなモノにおいて「価値のあること」として認識されていますが、実はそのようなモノも、広く流布しているモノも、「価値」は変わらないということがほとんどです。文化にしても、言語にしても、もちろんその土地で用いられているものは「本場のクオリティ」を持っているものです。それは外から見ると珍しかったり目新しかったりするものの、現地の人にとっては「当たり前」のものです。本場、メッカなどと言われても、実際にそれを用いる人にとってはそれが当たり前、むしろ外部で派生したモノの方が興味深く感じているかもしれないのです。

そして「言葉」の本質は相手に伝わるということです。相手が理解する、こちらも理解できる、意思が伝わる、そのようなことに「価値」があるのです。

ですから、「英語」、「英会話」の習得において講師がネイティブスピーカーでなければいけないということはあり得ません。変なハナシ、英語が話せれば「日本人」であっても構わないのです。発音がキレイかどうかなどということは問題ではありません。伝わればいいのです。違う言葉、違う文化を持つ相手に対して、こちらの意志が伝わればそれで成立するのです。

逆に、それまで全然英語に馴染みがなかった人が、突然ネイティブイングリッシュでレッスンを受ければそれは「負担」になるかもしれません。ネイティブの英語には日本語にはない独特の周波数があります。その英語の「音」を日本語の発音に置き換えようとするのが私たちの「英語」です。ですが、ネイティブの英語ではそれが不可能です。さらに、独特のブロークンイングリッシュなども混ざってしまうと、もはや「理解」は不可能です。

習得するためには、理解できるところから学ぶということも必要です。聞き取れるということ、そして意味を理解して応答できるということ、いわゆる「会話」の基本原則が、ネイティブイングリッシュによってさいしょから崩れてしまうということがあるのです。

ですから、ネイティブスピーカーに学んだからといって必ず効率的なわけではなく、むしろ難解になってしまうこともあります。学ぶ、身に付ける、そしてそれを「使う」という一連の流れを考えると、最初はネイティブではなくても構わないのです。そして、ネイティブに一度も教わらなくても構いません。

「世界の共通語を学ぶ」という意識があれば、むしろさまざまな国の人の英語を聞いた方がいいのです。アジアで使われている英語と欧米で使われている英語は別のものであることが多いです。私たちは、それらさまざまな英語に触れ、どのような局面でもそれが理解できるようになる必要があるのです。

 

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